昇段レポート
この度は、弐段の昇段審査を受けさせていただきありがとうございました。
審査を受けさせていただくことを決意してから、一人黙々と稽古をすることが多くなり、その中でこれまでのことを思い返す機会に恵まれました。
空手を始めたのは高校3年生の秋頃だったかと思います。
部活を引退し、目標を見つけるために、高橋道場の門を叩きました。
部活で花を開かせることができなかった分、空手ではそうならないようにと思い、右も左もわからないながらも無我夢中に空手をしていたように思います。
毎日のように総本部に行き、鍵が開いてないかドアを開けてみて、開いていたら中に入って稽古を勝手にしていました。
今思えば、常識はずれですが、その甲斐あってか、初めて出場した第一回新人戦で優勝させていただきました。
その後も北信越大会で2年連続ベスト4に入ることができました。
しかし、空手は私に対し大きな試練を何度も課しました。
その次の北信越大会では、年は一回戦負けでした。
これが大きなきっかけとなり、自身の生活環境の変化もあり、一度空手から遠ざかりました。
休会中、何度も「どうしてあのとき、もっと一生懸命やらなかったんだ」と後悔しました。
5年の時間が経過し私はすでに27歳になっていましたが、復帰させて頂きました。道場には知らない人のほうが多かったですが、入門が同期の高木指導員は相変わらず頑張っていました。
頑張っていながらも、全日本ウェイト制に出ている高木指導員の姿は、目を覆いたくなるものであると同時に、稽古する環境がないのが明らかに見て取れました。
その日、その場所で一緒に稽古しましょうと約束しました。
それから何年経ったでしょうか・・・今でも週一回だけ時間を作り自主練習をするという環境を続けています。
継続は力なりという言葉通り、私も高木指導員も、そのころと比べればはるかに実力が付きました。
おかげさまで、全日本にも出ることができるようにまでなりました。
指導者がいない中の稽古で、自分がやっていることが正しいかもわからず、試行錯誤してやってきたこの何年間は、見当違い稽古もあり、回り道も多かったですが、道なき道を自分の足で歩んできたという自負心があります。それがまた、指導に活かされていると感じていますので、無駄なことは一つもなかったと思っています。
支部を持たせていただき、指導をする中で、支部長としては年齢も若く、選手との掛け持ちということもあり、苦労も多くありました。
それでも、目の前の弟子のため一生懸命やってきました。
一生懸命やっていたつもりでしたが、残念ながら私のもとを離れていった方も多くいました。
それも当時は、どうしてだと自暴自棄になりましたが、楽しそうに空手をしてくれるほかの弟子がいてくれたからバランスを保つことができました。
目の前で起きている現実には必ず理由があります。
その理由を探すことで、また成長させていただきました。
今は、感謝しかありません。
酸いも甘いも経験し、すべてを糧として、今、三つの支部で指導をさせていただいています。
指導者になるなど、夢にも思っていませんでしたが、現実そうなってしまったわけで、その立場にふさわしい言動をしないといけないと襟を正すことを意識させていただきました。
一人では怠けてしまうのが人間ですが、弟子に恥ずかしくない言動と、弟子が誇れる指導者に少しでも近づけるようにと、自分に厳しくすることができ、その結果たくさんのものを得ることができました。
今回の昇段審査も、初段の方より、一段上のものを見せないといけないと思い、来る日も来る日も稽古に励みました。
結果として、どうであったかわかりませんが、いつも弟子に、できるかできないかじゃなく、やるかやらないかだと言っている手前、自分もできないと言い訳をせず、一番大きな声で、一番の気合いで、そして逆立ち歩行も、ボール蹴りも、棒飛びも、組手も、型も、何一つできないことはないというくらいに稽古しました。
途中脱水もあり型が飛びましたが、お陰様で、今回も課題が見つかりました。
審査が終わっても、型を掘り下げていきたいと思います。
この度は昇段審査を受けさせていただきましてありがとうございました。
高橋師範をはじめ、稽古に付き合ってくださった皆様、型を教えていただいた先生方、審査を受けるまでの行動を見ていてくださった支部の方々、当日立ち会ってくださったすべての方々、稽古に時間を費やすことに理解をしてくれた家族、すべてに感謝します。
これに満足することなく、更なる高みを目指し精進いたします。
押忍