渡辺 賢一 昇段年月日:2009年6月19日 昭和32年1月14日生まれ A型 やぎ座 昭和50年入門 空手歴33年 好きなこと:空手・カラオケ・温泉・少々競輪 好きな食物:寿司・焼肉・秋吉・お好み焼き・居酒屋 コメント「自分の道場を増やし、出来る限り心から指導を行い、一人でも多くの強い心と体の選手を育てたい。」 |
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昇段レポート「良き師範、良き先輩、良き仲間との出会い、残された私の人生目標」 今回は、自分のような者に昇段審査の機会を与えていただき、高橋師範に於かれまして心より感謝申し上げます。 そもそも私が極真空手に出会ったのは、約35年前です。最初はブルース・リーの映画を観て、小柄だった私は彼のように強くなりたいという衝動にかられました。最初は、少林寺拳法をかじりました。それからすぐ劇画空手バカ一代、テレビさらには地上最強のカラテを観てこれしかないと心に決めました。が、当時大阪の大学に在学中は大阪方面に極真会の支部がなかったと思います。 その頃、空手マガジンという雑誌(スポーツ誌)の中に真樹日佐夫先生が発起人となる極真史上初の通信教育コースが始まり、即座に入門を申し込みました。毎日教科書による課題が与えられ、最初の三ヶ月は朝昼夕と準備運動と柔軟運動のみ、次の2ヶ月は前者プラス突きのみ、次の2ヶ月は前者プラス手刀のみ、次の2ヶ月は前者プラス受けのみ、最後の3ヶ月が蹴りと太極I、IIのみで、その間各コースが終わるごとに写真とレポートを渋谷のカラテスクールに提出し、合格を得てから次のコースに移る、といった日々を大学四年間繰り返し緑帯までたどり着くことができました。その間、夏休み・冬休みだけ当時高橋道場照手支部にて稽古させていただきました。大学の卒業と同時に某自動車会社の営業になり、本心は福井の高橋道場に正式に入門したいと思っていましたが、連日夜遅くまで仕事が続き、自然と空手から遠ざかっていました。 そんな私がふたたび空手に出会ったのが約四年前、ちょうど三男極が高橋道場に見学した時です。極は私の娘が9歳で亡くなった時に生まれた子で、当時娘の死による悲しさ、さらに会社の倒産。財産も全て無くし精神的にも落ちるところまで落ちました。それでも生活はしていかなければならず、色々バイト等をして数年が過ぎ、極が小学一年生になり高橋道場の門をたたいたのです。 当時飯田師範代に巡り合い、最初は息子が「お父さんもいっしょにやって」と言われ、自分としても息子がそれなりに成長するまでいっしょに体を動かしていようという程度でした。連日稽古に出ていると何故だか他の子供さんも気になり「こうした方がいいよ。ああした方がいいよ。」と口をはさむようになりました。それからしばらくして飯田師範代より過去の経歴を問われ、高橋師範を紹介されて師範より「指導員としてよろしくお願いします。」と握手をされました。その時の力強さと熱い思いが伝わってきたのを今でも忘れません。この時、心の中で私でも役に立つ事があるのなら・・・とやる気が湧きました。でも型もその他組手等も全く忘れてしまっていて大きな不安もありましたが、師範より「あせらず自分も勉強だと思って頑張って下さい。」と言葉をいただき、心の広さに感動したとともに安心しました。その後母の認知症の世話、妻の手術、毎日の家事をこなしながら、くじけそうな日々もたくさんありましたが師範の励ましの言葉や師範代の協力、さらに私の心の中で死んだ父や娘に笑われないようにという思い一つで頑張って来たつもりです。 さらなる転機が訪れたのが昨年七月七日のクーデターでした。あの時は何とも言えないショックと同時に出て行った者達への怒りが湧きました。皆、勘違いをしている。今まで誰に指導されてきたのか、この福井で大山総裁より直に教えていただいたのは高橋師範だけという事実。まして、その高橋師範に教えをいただける。こんな光栄なことはないということをこの時あらためて、こんな自分でも役に立てるなら一生懸命協力していこうと思いました。 しばらくして師範より審判員さらに支部づくり等の提案をいただき、それに従事していくにつれ充実感と責任感でいっぱいになっていくのを感じました。それとともに、これから更に日々勉強努力し指導員として全ての面で恥じない様にと心がひきしまりました。そして、こんな私にも昇段が出来たという喜び。まさに夢のようです。ただ審査の10人組手は、今も思い返すと恥ずかしいくらい散々でした。他の道場生が観ていて「なーんだ、あの程度で昇段できるのか。」と思われているのではないかと心の隅に残っています。 これからは直系極真の黒帯に恥じない様に日々精神努力をして、良き指導員を目指し、新生高橋道場の為に頑張りたいと思います。また、残された私の人生を極真空手高橋道場に捧げ、前向きにここ一、二年のうちに私の道場を三つ程増やし、ゆくゆくは私の道場の教え子から全日本クラスに参加できるくらいの選手を育ててみたいという夢をかなえたいと思っています。 最後に、この度は、私の様な者に昇段審査の場を与えていただき、高橋主席師範、飯田師範代、各指導員の方々、道場生のみなさん保護者の方々、私を生んでくれた両親、私の家族、苦しい闘病生活を頑張りぬいて死んだ娘、そして私がこの道に入るきっかけとなった三男極に感謝申し上げ、再度深く御礼申し上げます。 本当にありがとうございました。 押忍 |